「冗長性」からみた即興
(2001/07/25)

言葉には冗長性があります。というと唐突ですが、「おはようございます。暑いですね。今日もがんばっていきましょう」と言うと、「…ございます」だけでも、「暑いですね」だけが聞こえてもあいさつしてるな、こいつ、と言うことは分かって、「どーもおはよう」と返せるはずです。

もちろん状況などに依存しているわけですが、多少単語や文の一部が聞こえなくても意味が分かる。いいかえれば必要最小限な言葉だけではなく、ある程度情報が欠落しても、欠落した部分が再現可能で、意味が通 じることを「冗長性がある」といいます。

言葉においてこの冗長性が少ないと大変です。 「明日の予定は?」 「午後10時50分」 などとという会話などがそうで、「午後10時50分」のどの部分が、欠けても、聞き返さなければならないでしょう。

実際の会話や文章でも、重要な情報を伝えるためには「繰り返す」という方略をとることが多いです。 音楽においてすべて書かれた楽曲というのは、この冗長性が低い、と言えるでしょう。もちろん例外はありますが、この冗長性の低さを補償するため、楽式には繰り返しが含まれる、ともいえると思います。

つまり、重要なポイントのみを楽譜に書き、寄り道せずに楽曲を演奏する、ということが可能である、ということです。ウェーベルンという人は、この傾向が強かったようで、「管弦楽のため6つの小品」という曲では、2小節という「小品」があるくらいです。

即興演奏、というのは、冗長性が高い音楽といえるでしょう。すべてをその場で構築する、という性質上、重要なポイントまでの「助走」が長くなりがちです。もちろん例外はあり、佐藤允彦さんと富樫雅彦さんなどのライブでは、すべて書かれた楽曲のような冗長性のないフリーインプロが展開されたりしますが、そのなかにも冗長性は存在します。この場合は演奏者同士のためというよりは観客のため、と考えるほうが良いかと思います。

普通の自由即興演奏は、冗長性が高いといえます。自由即興というのは「コミュニケーション」が重要になります。演奏者同士の音楽的会話を相互に聞く、ことが重要になるのですが、状況としては「会話」と同様になります。と、なると、実際の言語での会話同様、冗長性が必要になるわけです。


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