沢庵のおことば
(2002/01/29)

沢庵、という食べるアレしか思い出さないのですが、語源の禅師沢庵は、「不動智神妙録」という本で興味深いことを言っています。

<要約>
不動智とは,動かない智ということである.とはいえ、石や木のように動かないのではなく,絶えず四方八方に自由に動きながら、一つのことには決してとらわれない,これが不動智である。 剣術においては,相手の刀に気を取られれば自分の動きがおろそかになる。

同様に,自分の刀の動きに気を取られれば自分の刀に、自分の心のありように気を遣えば自分の心に、というように心を取られてしまい、自分の動きがおろそかになり切られてしまう。 しかし,心を一つのことに止めずにただただ相手の動きにすばやく応じることができれば相手を斬ることができる。これが剣術における不動智である。

ランドゥーガにおいて佐藤允彦師範がよく言うことに「ふたつのアンテナ」という言葉があります。これは、例えば、トリオでの自由即興では、1人の共演者だけでなく、たえずもう一人の共演者のことも聞き、反応する/できること、という意味ですが、まさにこの「不動智」の心境ですね。

ダメな自由即興でよくあらわれる「ただ自分が自分のやりたいように弾き、共演者などを無視する状態」は、「自分の刀の動きに気を取られれば自分の刀に、自分の心のありように気を遣えば自分の心に、というように心を取られてしまい、自分の動きがおろそかになり切られてしまう。」と通 じる境地であると思います。押し相撲で一方的なKO勝ちをするつもりが、相手にやられる、あるいは観客から「つまらない」といわれてしまう状況がそうでしょう。

不動智を具象化したものが千手観音だそうです。これは実際に手が千本あるのではなく(仏像では沢山あるけど)、「絶えず四方八方に自由に動きながら、一つのことには決してとらわれない」ことを表しているのだそうです。千本は無理でも2つのことには公平に気を配れるようになりたいなあ、と思います。

また、これも自由即興に関係ありそうな、沢庵禅師のお言葉。

<要約>
「石火の機」という言葉があるが,これは素早いという意味を表しているのではなく,心を止める間のないことを表している.素早いとは,心を止めないから素早いのであり,ここが肝心なのである。禅宗における禅問答では,その答えが善いとか悪いとかをいうよりも,いかにとっさに答えられるかが大事であり,止まらぬ 心を尊ぶものである.考えに考えていうのであれば,いかに立派な文句であれ,それは迷いとされる。


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