下関の旦那
(2002/06/14)

溝部学という人が下関にいます。「まなぶ」ではなく「さとる」さんです。私もよく間違えます。すまん。で、この人はジャズ好きで、国内外のミュージシャンを呼んでライブを主催していました。

ここ5年間くらいは、ランドゥーガにはまり、功山寺でのイヴェント「長州音維新」や秋吉台ランドゥーガセミナーを主催されていました。 そこで私との縁が出来ました。2000年1月のこと。東京メーザーでのランドゥーガワークショップの折りに、山口でランドゥーガが盛んで、合宿してセミナーをしていると聞き、6月2〜4日のセミナーにいきました。

佐藤允彦師範らとともに山口宇部空港に降り立つと、そこにはサングラスをかけた溝部のおっちゃんが出迎えてくれました。「アルカポネ」ともいわれる風貌は、なるほど納得で、なかなか押しの強い旦那でした。 ちょうどその時は、広島で長距離バス乗っ取り事件(犯人は少年)があり、「あんなものはすぐに打ち殺せばいいんじゃぁ」というのを「まあまあ」といった記憶があります。

ランドゥーガセミナーでは、溝部さんはコンガを叩いていましたが、顔に似合わず(失礼)繊細なプレイで、よく「待っている」演奏でした。 お誘いを受けて、2000年の11月11〜13日の長州音維新にも参加させていただきました。

BUNさん(現ランドゥーガ研究会事務局)らと先乗りして時間があったこともあり、結構長い時間、溝部さんにあちこち連れていってもらいました。夕刻に関門海峡を見下ろす丘で、溝部さんが将来目論んでいる、でかすぎるプロジェクトの話をいろいろ聞かせてもらいました。 溝部さんは2002年6月14日、ガンのため永眠されました。ホントにいろいろとお世話になりました。


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