楽器の奴隷 2001/04/22
音楽を表現するためには、楽器などを演奏しなければならないのですが、この最重要なのは、音楽で表現したいイメージを表すために、楽器を演奏する、であって楽器を演奏することが自己目的化しないことですね。 先日もタブラをスティックで演奏していたら「邪道」といわれたのですが、わたしゃ自分の表現したいヴィジョンのためにタブラを使っているのであって、この際インド3000年の歴史とか、「正しい」タブラ奏法なんて自分のヴィジョンの前では無意味です。 「楽器がかわいそう」と言われても、レンタルや他人の楽器ではなく、このタブラを一万五千円で買ったオーナーなので問題ないです。 このタブラが実は15000円ではなく、世界遺産であるバーミヤンの大仏に匹敵するようなモノであれば、オーナーとしても「オレはタリバンか!」と考えますけど
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