佐渡裕を読む
2002/07/17

指揮者/佐渡裕さんといえば、私の出身大学で、私の卒業と入れ違いにオケの定期演奏会の指揮をされたとか、1997年の坂本龍一「f」の指揮者とか、ちらちら見る機会があったのですが、この「僕はいかにして指揮者になったのか」という本には、ノックアウトされました。 あまりの面白さに、電車で読んだ後、続けて自宅で読み直したくらいです。音楽をやっている、やっていないにかかわらず、非常に元気になる、勇気づけられる本です。

内容は、佐渡裕さんの青年期から各地のオケを指揮しだす30台前半までの、いわば自伝です。佐渡さんの良い意味で直情型の熱いエピソードが満載です。

読む人のその時々の状況によって共感するポイントはさまざまだと思いますが、名古屋フィルの指揮者オーディションに行って、最終選考まで残って落ちて、帰りの新幹線で「どうせ落とすなら最初に落とせよ」とか。その5年後、もう一回受けたらやはり最終選考まで残った揚げ句、落ちた。とか、関西二期会の副指揮者のポストを得たが日給1500円とか、挫折体験のあるひとにはツボ満載です。佐渡さんの人柄と、文体のおかげで、これらのエピソードは、ひがみでも変な貧乏自慢でもなく読ませてくれます。

私にとってもっとも印象深いエピソードは、京都のある女子高吹奏楽部講師時代の話ですね。佐渡さんのおかげでみるみる実力をつけたこの学校が、吹奏楽連盟のコンクール(本書中ではぼかしてあるが、間違いなくそう)に出て、最下位 となり、審査員室に行き、審査結果について問いただしたところ 「君たちのような演奏では文化祭では受けるかもしれないが、コンクールではだめだ」などどいわれ、かっとなってかばんを投げ、大混乱、とうとう講師をやめる羽目になった、というものです。

まるで夏目漱石の「坊ちゃん」のようなエピソードですね。佐渡さんのおっしゃるように「現在の日本のクラシックの世界には、そうした審査員や批評家が数限りなくいるのだ。僕にとってはたまらなく退屈なものに対して百点を与える人たちばかりなのである。」 まったくそのとおりで、音楽の面白さをオミットする、吹奏楽連盟のような人たちが跋扈しているのは困ったものですね。

さて、佐渡さんの本でもっとも感動的なエピソードは師匠レナード・バーンスタインとの生前最後の別 れの場面ですね。これは皆さん実際に手に取って読んでみてください。


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