アドリブとインプロ
2001/01/30

アドリブ(adlib)とインプロヴィゼーション(improvisation)ともに「即興」と約されますが、これらの語に意味の差はあるのでしょうか。

アドリブ(adlib):希望に任せて、無制限に、即興的に演奏する/歌う

インプロヴィゼーション(inprovization):即興にやること -improvise:即興に作る、間に合わせに作る

辞書にはそうあります。 二つの語の意味の差を考えると、アドリブは「希望に合わせて」「随意に」という意味が強く、インプロヴィゼーションは「作る/こしらえる」という意味が、派生語などを含めると強いのが分かります。 現状では、音楽においても2つの語を明確に区別して使う、ということはほとんどありませんが、上記意味の差を考えると、区別 する、ことも可能であると思います。

音楽以外に目を転じると、アドリブという言葉はよく使われますが、インプロという言葉はめったに使われません。「そこアドリブで」とか、「トラブルをアドリブでしのいだ」とかですね。これらは「プレイヤーの任意、随意に任せる」という意味が強いと思います、

が、例えば、ニュース番組で、原稿がなくなって、アナウンサーが漫才を始めたり、逆にヴァラエティ番組でネタがなくなった漫才師がニュース原稿を読んだりはしないと思います(あまり)。

つまり、アドリブとは、状況、場など環境に関する「文脈」依存性が高く、たまたま書かれたスクリプトがない/なくなった状況で、あたかもスクリプトがあるかのように演じる/プレイする、ことと定義できると思います。

文脈依存性の高い「アドリブ」の音楽的定義は? 認知科学者クラムハンスルはアドリブを「変奏のヴァリエーション」と定義しています。つまり、テーマ/モチーフを加工変形するもの、ということです。 一般的なジャズを考えてみれば、曲のテーマをまず演奏し、テーマのコード進行にしたがってアドリブする、つまりテーマの変奏をその場でこしらえるという理屈になります。これは文脈依存性とも、基底構造がある、ともいえることです。

アドリブでは、この「基底構造」を演奏者と聞き手が共に認知しています。ジャズ以外の、インド音楽やアラブ音楽など各地の伝統音楽にもアドリブはありますが、それらはすべて、この「基底構造」を持ち、基底構造に従うことを期待されています。様式/スタイルとも言い換えられますが、ある枠組みがあり、そのなかでいくつかの選択肢をチョイスできる、ものです。

なので、あるスタイルにおいては、正しいアドリブ、間違ったアドリブが存在します。それは基底構造からの逸脱、と定義できると思います。 で、ようやく「インプロ」の話になりますが、「インスタントコンポジション」という言葉があります。あまり一般 的な言葉ではないのですが、その場での作曲と定義できるでしょう。

インプロヴィゼーションには、この「その場での作曲」という側面が強い、というのが私の考えです。 作曲であれば、曲のテンポ、ハーモニーなどすべての要素を決める/変えることができます。基底構造そのものをコントロールすることができるわけです。これを即興、つまり、リアルタイムで行うのがインプロです。 意味的にはインプロにはアドリブの意味を含有していますが、インプロはひろい即興を指すもの、と定義できるわけです。


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